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年賀状

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若い人は、新年の挨拶もLINEやメールでするのか、息子や娘に来る年賀状は、数枚しかない。

比べても意味はないのかもしれないが、私たち親世代では、友達や会社で共に働く方々に送るのが、礼儀でもあった。

一方、人生の先達からは、「今年で年賀状は終わりにします」と一行あるものも届くようになった。あちらからはこなくても、こちらからは年に一度、近況をお知らせすることは許していただこうと思ったりする。

年賀状のやり取りが続く人の中には、子どもを通じて知り合ったものの、転勤で遠く離れ、20年以上年賀状だけで繋がっている人もいる。

その中の一人に、いわゆる手芸が本当に上手な方がある。ミシンも満足に使えない私からすると、その方の手仕事は、デザインといい、縫製の技術といい、プロとしか言いようがなかった。

ただ、器用で上手なだけではない。使いやすさを考えた、彼女の温かな人柄がにじみ出るデザイン。そして、丁寧な縫製は、市販のものに頼ってばかりの私には、眼を見張るセンスだった。

もし、私に、これだけのことができたら、きっと起業して作品を世に出したいと素直に思った私は、彼女に、「ぜひ、デザイン事務所を立ち上げて!」と言ったことを思い出した。

世はインターネットの時代。子どもが小さくても、店舗も在庫も持たず、受注生産で自分で計画を立て、自宅で仕事ができるようになるはずだと思ったのだ。

こんな才能を、埋もれさせるのは、いかにももったいない。多くの人に彼女の作品を知ってほしいと、それができる時代が来ていると、真剣に思ったことを覚えている。

今年の、彼女からの年賀状には、子どもも大きくなり、デザイン関係の仕事に復帰したとあった。そして、デザイン事務所の立ち上げにはまだ時間がかかりそうとあった。

20年という歳月は流れたが、彼女は、心の隅に私の気持ちを置いておいてくれたのだ。

嬉しかった。

年賀状っていいなあという思いが、不意に心を満たした。

年賀状のやり取りをしてきたから、彼女が私の願いを覚えていてくれたかどうかはわからない。しかし、年賀状のやり取りをしていたから、彼女が私の気持ちを心に置いておいてくれていたことを20年の歳月の後に知ることができたことはまちがいない。

年賀状というものがなければ、この瞬間は訪れなかっただろう。

そして、もし、会う機会があれば、会ってすぐに、20年前の話の続きをすることができるだろう。

旧交を温めるのに、LINEよりメールより何より、年賀状はいいはたらきをしてくれると実感したお正月になった。