子どもはいつまでも親にとっては子どもだと言います。
しかし、一方で、「老いては子に従え」という言葉もあります。
我が家でも、3人の子のうち二人は成人しました。
成長を感じるとき
仕事に行く日は、たいていお弁当を持っていくのですが、一昨日は、娘が作ってくれました。それが、とてもおいしかった!とくに、なすと豚肉のちょっと辛めの煮物と、野沢菜とじゃこの混ぜご飯とよく合っていました。つかれをとる梅干しも入っていました。
そして、昨日は、息子が仕事から帰ってきて、「今からスーパーへ行くけど、一緒に買ってくるものない?」と聞いてくれました。そもそも帰宅後にスーパーへ息子一人でいくこともめったにないことですが、そのときも、こちらから、ついでに買い物を頼むことはあっても、息子のほうからきいてくることはありませんでした。
しかし、昨日は、いとも自然にたずねてくれたので、こちらのほうがびっくり。これは、ぜひ何か頼まなくてはと思い、じゃがいもを頼みました。それに、最近は、言ったわけではないのですが、自分から食後の食器を片付けるようになりました。
友達がそうしているからなのかしら、などと思いながら、「ありがとう」と、ひと言言うようにしています。
次男はというと、介護にさく時間が増えて、皆の洗濯が山積みになったころから、介護が終わったあとも、自分のものは自分で洗濯する習慣にしてくれています。中学生のころからです。
出会う人、社会にも育ててもらっている
意外な成長を目の当たりにすると、「ああ、どこかでだれかにそだててもらったんだな。」と思います。子どもは、親の言葉や態度だけで育つものではないと実感するのです。ほんとに、どこのどなたか知りませんが「ありがとうございます」と言いたくなります。
粗相や失敗もしているのだと思うのですが、叱ったり、諭したりしていただいているのでしょう。それを、素直に受け入れようと思える人格の持ち主に出会っているということも、ありがたいことです。
失敗ばかりの私
結婚して家庭に入り、3人の子育て、そして同時に8年半の在宅介護の同時進行で、結婚後の25年は、ほとんど家庭のことばかりしていました。ただ、在宅ワークをほそぼそと続けていたので、昨年から、そのつながりで事務の仕事もするようになりました。
ところが、結婚前にできていたことが、ずいぶんできなくなっています。ミスの連発で、仕事に誘ってくれた方に申し訳ない気持ちが沈殿していくような感覚です。もう少しできるかと思っていた自分への信頼も木っ端みじんです。
家事、家業、子育て、介護、在宅ワークの5本柱を何とか両立させてきたという自負がありましたが、少し時間と気持ちに余裕ができた今、なぜ、単純な事務作業でこんなにミスしてしまうのだろうと、ふがいなくて悲しくさえなってしまいます。
そういうわけで、目下の私の課題は、なんとか頭のはたらきのバランスを取り戻し、改善することなのです。パソコン教室に行き、歩く時間を増やし、頭を働かせるため立って新聞を読み等々。
今振り返れば、一年前、社会復帰したての頃は、家の中ばかりにいて、家のことばかりしていたもぐらが、外の光ををあびて目がくらんだようになっていたと思います。これからも、沸騰したようになっていた頭を少しづつ整理して、落ち着いて物事に取り組めるように心も整えていかなくてはなりません。
そんな、ちょっと追い詰められた気持ちの私にとって、日常の家族の生活の中で、できることをしようとしようという娘や息子たち姿勢や気遣いは、大きな救いになります。
ときには、アドバイスをくれたり話を聞いてくれたりすることもあり、助けられる場面も増えてきました。
これからはいい人生を歩むための同志として
子どもは、かなり私の思っていた以上に育ってくれたような気がしています。
未熟ではありますが、少なくとも、22、23歳ごろの私よりは、いろいろなことにチャレンジし、物事がわかっているような気がします。18歳の末っ子もじっくり物事を考えているふしが見られるようになりました。
だから、これからは、親子というよりも、いい人生を歩み、またいい人生を次の世代に渡せるように考える大人同士に、立ち位置を移してもいいなと思っています。
年代では先を行く私は、親としてはもちろん、一人の人間としてのよりよい生き方を目指し、ときにはうまくいかなくてあがき、また思い直して再生を図るという歩き方を、ありのままにみせていくのがいいのではないかと思います。
それが、我が家なりの、自然な親離れ子離れとなっていけばいいなと思います。